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木村 純
ボサノバ・ギタリスト


50歳の時にサラリーマンでありながら、仕事がらみで3700万もの負債を背負わされ中年失業。転職もうまくいくはずなく、その時、「自分の好きなことをやろう」と決心、家を手放し借金を返済、13歳の時に出逢ったギターを片手にストリートミュージシャンとしてのあたらな道を歩み始めた。
苦労を重ね活動したその甲斐が実り、東京都が認定する街頭アーティストに選ばれ、今では音楽家として全国のライブハウスやレストランなどで年間400回にも及ぶ演奏活動を行っている。
http://jun-kimura.jp/



肩書きのない自分
自分 - 肩書き = 本当の自分

「0からの再出発」


 前職はBMWジャパンの営業マン。入社14年目のある時、担当していた取引先が問題をおこし、やむなく自ら責任を取ることになってしまった。サラリーマンは会社によって守られているという幻想は、瞬時に崩壊。47歳無職。手元に残ったのは負債3700万円と家のローン。そして大切な家族。

 結局、この世で確かなものは自分しかないことを痛切に感じた。自分にとって確かなものは中学時代から弾き続けてきた「ボサノバギター」だった。知り合いだったサックス奏者の三四朗さんからの励ましがあり愛器1本で勝負する気になった。人から「木村さんは特別な才能があってよかったね」とよく言われるが、はたしてそうか、才能とは、だれにでもあるもの。ただ、それを磨くか磨かないかの違いだということが分かった。
 サラリーマン時代を通して、ギターを手放したことはなかったが、続けていたのはギターばかりではない。僕たち夫婦は、いつもお互いの考えを語り合っていた。だから、妻は僕の気持ちを理解してくれたのだと思う。肩書き無しの『木村 純』として生き直すことを。

 家を売却し背負わされた借金を一括返済し、0からのスタートとなった。ストリートデビュー、最初は家族や友人が自分の姿をみてどう感じるだろうと、不安で下を向いてしまった。でも顔を上げてみたら、僕らの演奏を聴いて泣いている人がいる。投げ銭と一緒に「これから死のうと思ったけど演奏を聴いているうちに生きていく勇気が出ました」というメモを投げて入れてくれる人もいる。音楽には「音」しかない。音は目に見えない分、心と心の会話の仲立ちになる。自分には何の肩書きもないけれど、音楽を通じて人に感動を与えることができる。

 今では、ライブハウス、レストラン、カフェ、各種パーティなどでの演奏活動を行い、東京都からストリートパフォーマーとして公認を受ける。また、知的障害を持つ人や、心の病を抱える人向けに公演も行っている。こうした人々の反応には嘘がない。演奏が心に響かない限り関心を示さないし、気に入ればその場で踊りだす。僕にとってはまたとない勉強の場となっている。

 年収は前職の何分の一、休日もせいぜい一ヶ月に1日あるかないか。夜は演奏活動で忙しく家族と食事も取れない。それでも好きなギター1本で生きる人生が楽しくてしょうがない。生きている自分がそこにいるから。


 
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